矢野目の戦いとは

 福島県南相馬市は、国の重要無形民俗文化財である「相馬野馬追祭」に見られるような、馬・武士分化を築いてきました。それは、昔この地域一帯を治めていた相馬氏の存在が非常に大きく、城跡や野馬原が今も残っています。

 また、相馬氏は馬の運用がとても上手く、北部に伊達氏、南部に佐竹氏と、強大な勢力に囲まれながらも独立を維持してきました。特に伊達氏とは何度も戦いを繰り広げており、多くの文献に、相馬氏と伊達氏の戦いが記されています。そして、そのほとんどは、馬に乗って行う、騎馬武者同士の戦いでした。

 なかでも天正時代の「矢野目の戦い」(1581年)は、戦国時代としては珍しい沼地での戦いで馬の運用も難しかったそうです。何度も勝利を重ねていた相馬氏も苦戦を強いられたそうです。泥に足を取られ、前に進もうとしてもうまくいかず、悶える中でも、相馬氏は勝利しました。

 

 今、私たちが置かれている状況も、おなじように例えるなら沼地のように、多くの問題を抱えていて、前進しようとしてはつまずき、足元が不安定な部分もあります。しかし、私たちの祖先は負けじと努力を重ね、苦戦を乗り越え、その後は伊達氏との和睦まで取りつけたのです。

 南相馬市を担う私たちも、「未来に進んでいくのもままならない」状況だからといって、じっとしているわけにはいきません。また、この矢野目の戦いの18 年後の関ヶ原の戦いでは、因縁の関係であった相馬氏と伊達氏が誠意を見せたという感動の秘話があります。

 私たちも今、周りにいる様々な人々と手を取り支え合いながら生きていく必要があります。

そんな想いから、「矢野目の戦い」と「相馬氏と伊達氏の秘話」を題材に、私たちのふるさと、南

相馬の地で、みんなが参加できる体験型の祭りとしてルールに則った「合戦」を行います。